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永遠の野原ー野原に記憶を預ける

永遠の野原―野原に記憶を預ける

 

「何かを忘れようとすればするほど、心に残るものだ。ある人曰く、何かを捨てなければならない時は、心に刻みつけよ*」

 

私はあまり過去のことを覚えていない。だから、記憶というものについて考えたことも、囚われたこともなかった。

それが、母が亡くなって以来、母との記憶に悩まされることになった。それは、ほぼ介護中のことで占められている。認知症であった母親、変わりゆく姿、その中で起こった衝撃的な出来事、そして、自分がしてきたことへの後悔。

母が亡くなった時、これらの記憶や複雑な感情を、抱えて生きていこうと思ったが、記憶はいつまでも薄れるどころか、母は死者という揺るぎない存在となって、いつまでも辛い記憶を思い出させた。

忘れたいと思うようになった。と、同時に親の記憶を忘れたいと思うことへの後ろめたい気持ちにも苛まれた。

そんな時にウォン・カーワイの映画の言葉を思い出した。そして、囚われている記憶を見つめ直してみようと思った。

私は母の遺品を集め、覚えていることを書き出してみた。

この作業は、母の人生について思いを巡らすことになった。そして、集めたものを丁寧に弔い、埋葬したいと思い始めた。

私はその場所に野原を選んだ。

野原は母ともよく散歩した場所であり、そして、すべてのものを受け入れ、浄化する場のように感じていたからだ。

私は野原に入り、囚われていた記憶を埋める旅を空想した。

 

*ウォン・カーワイ「東邪西毒」

<序文>

最後の記憶、記憶の葬送―土に、灰に、塵に

 

 

 老若を問わず、人は自分の死について考える。そして、歳を重ねるごとに色濃いものになっていく。それは本作の作者にとっても例外ではない。だが、自分の人生の終末を考える前に、決着をつけておきたい軛(くびき)があるのだということを、この作品は物語っている―それは、親の死にまつわる記憶のやり場である。

 千代田は、母の記憶がほとんど介護の時期のものしかないという。この作品を論ずる評論家として以前に、同じく壮絶な時間を経て親を亡くした立場の人間として、わたしは彼女の意識に切実な共感をもつ。残された者にとっては、その死の瞬間から物語が始まってしまうからだ。そんな軛としての記憶を、親の死の瞬間からこびりついた物語を、目が意に反して執着してきたモノたちを、どこかに葬ることができればどんなに楽なことか。とはいえ、そこには大きなディレンマがあるに違いない。すなわち、葬ってしまってよいのか―? という後ろめたさである。それは、「預ける」ということばに彼女の素直な心情が反映されているように思える。

 小さな棺としての箱の中には、母の化身としてのいくつかの形見と、その娘の記憶にまつわる品々が入れられている。その記憶は、葬送にあたって徹底的に掘り起こされねばならない。悪意はなくとも、他方で記憶は美化されるとも限らないのだという生々しい本音がそこにはある。身体拘束を想起させる紐、卒塔婆のようにもおみくじのようにも見える小さな木の板、名前の書かれた洋服のタグは屈辱を呼び覚ますことだろう。それらは、人知れず野原に埋められる。

 この儀式における「預ける」とは、結末のつけにくいことの処理を任せるという意味で使われている。それが掘り返されることなど、二度とない……だろう。それは、きっと今生の別れになるであろう際に酌み交わされる水盃を納めた箱に仮託されている。それでも、「預ける」とは、あとで受け取るまで守ってもらうというのが第一義である。だから、野原は持ち主を待って永遠にその記憶を守り続けることとなるだろう。

                           *

 2006年のこと。50代の男性が80代の認知症の母親の介護に疲れ切って殺害するという事件が起こった。男性も自死を選択したものの、未遂に終わる。この「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」の判決は懲役2年6か月、執行猶予3年というものだった。この判決が言い渡されたのち、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のありかたも問われている」と述べたという。この被告の事件時の心情と裁判官の同情とを鑑みるとき、介護する親家族に対して抱いてしまう不謹慎な感情は、決して特別なものではないということを教えてくれる。それはほとんど口にされ得ない感情だろう。だが、千代田のように介護をまっとうしても、感情は解放されるわけではないというのも、また問われるべき事実である。

 口にもされず、解放もされないままに抱え続けられた記憶。本作はその葬送である。しかし、それは千代田の記憶のベゾアールを大地に預け埋めるという個人的なおこないにとどまらない。この作品を見て共感を覚えた観者はすなわち、この葬送の列に参加する者である。

 母親の肉体の化身としての遺品や記憶が静かな葬送に付されるとき、約500年前に成立したイングランド国教会の共通祈祷書の埋葬の章に書かれたことばは、宗教や死生観をこえてわたしたちをその軛から解いてくれる。

     「土は土に、灰は灰に、塵は塵に」

 千々にもつれた記憶は、永遠に野に埋葬されるのである。思えば、キリスト教徒が長らく土葬を選択してきたのは、肉体が最後の審判の日に復活するために必要だとされたからだった。その意識もまた、永遠の救いを求めて死者の肉体を大地に埋め預けているということにほかならない。

 「さあ、軛からもディレンマからも解放されてください」。口幅ったいが、それがこの作品制作に伴走してきたわたしが、なにより千代田にかけたいことばである。

 

 

 

打林俊(写真史家・写真評論家)

パリ第I大学招待研究生を経て日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了。

画廊勤務、日本学術振興会特別研究員(PD)ののち独立。写真史研究、写真

評論のほか、大学教育や社会人教育にも携わる。2023年にStylo rougeを設立

し、写真集・写真展のアートディレクションも行っている。主著に『絵画に焦

がれた写真』『写真の物語:イメージメイキングの400年史』など。

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