© Michiko Chiyoda

Starting a New Journey

STATEMENT

長い闘病の果てに母が亡くなり、その後、随分と旅をした。 海を巡る旅が多かったのは、母が生前海を見たいといっていたことが心に残っていたからだ。 海と空が繋がる遥か向こうを眺めていると母との記憶が蘇った。 母とはよく近くの野原を散歩した。健脚だった母、きっと海辺も楽しく歩いただろう。 今、母は死者となりこの世にいない。だがその存在はときに、生きていた時より重く深く心を占めることがある。 それは亡くなった母との関係を、もう新たにすることができないせいかもしれない。 

旅した場所の一つに恐山という日本の最北端にある千年以上続いている霊場があった。 死者と語り合える場所として知られ、訪れた人々は様々な思いを抱えて石を積み、花を捧げ、亡き 人を弔う。 私もまた母を弔いたいと訪ねた。不思議な景観をもつこの場所は静かで、母と語らうにふさわしい場所に思えた。 

弔うとはなんだろう。死者への供養とはなんだろうか。 自分の内部に存在する死者、死者と自分との関係、死者に紐づく様々な記憶。 

人は生きている時は他人であるが、亡くなった途端、他者という実体はなくなり、自分の記憶の中に存在するものとなる。 いわば、死者は記憶というかたちで自分の一部になるのではないか。 もし、それが折り合いのつかないものであっても、死者に対する思いというのは、自分との葛藤であり、その葛藤を抱えて生きて行くことが弔うということなのではないか。 

 そう自覚した時、母との記憶を抱えて生きるというより、むしろ自分に同化されたような感覚が あった。 そして、不思議な孤独感を感じた。それはこれまでにないもので、悲しくもあったが、新たな旅を 始める前のような高揚感にも似ていた。